オナクラの歴史について

オナクラっていつからあるんだろう?
なんとなく新しいジャンルの風俗。
そんなイメージありませんか。
しかし、現在はオナクラの専門店だけでも全国各地に500店以上存在しています。
そこで今回は歴史の勉強です!
オナクラはどこで生まれ、どのような進化を遂げてきたのか?
その歩んできた道筋を解説していきたいと思います。
オナクラの発祥地は…
発祥地は「大阪」と言われています(※諸説あり)。
オナニークラブが産声を上げたのは、2000年ごろです。
男性は女の子に一切触れることが出来ず、触ってもらうことすらない。
さらにキャストは服も脱がない。
3ナイ風俗であるオナクラのイメージはここが原点です。
そもそもこれを風俗として売り出した発案者には脱帽。
どんな狙いや客層をターゲットにオナクラを作ったのか。
確かめてみたくなりますね。
発祥の地としての影響か、大阪は今でもオナクラが盛んです。
大阪で最もオナクラの数が多いのは「梅田」です。
【創世記】2000年頃~
当時の風俗の主流はソープ。
この年の流行語は「IT革命」
インターネットの普及により、店舗のないデリヘルが爆発的に拡がった時期でした。
オナクラの知名度はまだまだ低く、店舗数も少なかった。
その中でも「女の子にオナニーする姿を見てもらえる!」
Mの男性や、少し変わった性癖を持っている男性など、ヘビーユーザーが増え、コアなファンを獲得していきました。
オナクラは「マニアのための風俗」という印象を持つ方が多いのは、この当時のイメージからではないでしょうか?
五反田など、現在でもマニアックを突き詰めたオナクラ店が多いエリアもあります。
【充実期】2005年頃~
主要な繁華街には必ずオナクラ店がある。
そう言えるほど、この時期はオナクラの店舗数が順調に増えていきました。
この大きな理由が「オプションの充実」です。
マニアのための風俗からの脱却!
幅広い男性を呼び込むために、各店舗ともオプションの充実を図りました。
現在と同じように手コキなどのサービスが定着するなど、サービスが強化されたことにより、男性人気が高まりました。
巷ではこの時代がオナクラ黄金期とも言われています。
【停滞期】2010年頃~
このまま順調にオナクラが伸びると思われましたが…
「飲む(酒を飲む)・打つ(ギャンブル)・買う(金で女を買う)」
世の男性の当たり前だった時代から男性の草食化など「エロにお金をかける」ことが極端に減ってきました。
風俗業界の冬の時代です。
この苦境に対応するために、激安店が多く登場するなど、各ジャンルとも低価格化を進めました。
競争についていけない店舗は次々と閉店。
黄金期に爆発的に増加したオナクラ店も、ブームの後で店舗数が減少しました
【成熟期】2015年頃~
外国人観光客などの増加により、人々の価値観は多様化。
個人主義的な考え方が強く現れるようになりました。
ブームから停滞期を経て、オナクラ店は良質なサービスを提供する店舗のみが生き残りました。
店舗数の減少は悲しいことですが、低価格で質の高い女の子と遊べるようになり、ゴムフェラや排泄鑑賞など、過激なオプションをウリにするオナクラも出現。
オプションを組み合わせて自分だけのプレイを楽しめるオナクラは、個人主義的な世の中の流れに対応することができる風俗へと進化を遂げました。
【未来予想】これからのオナクラ
新型コロナウイルスの流行による風俗店の閉店。
若者の風俗離れという言葉も聞かれます。
・接触が少ない
・好きなプレイだけできる
・サクッとお手軽
風俗にとって冬の時代かもしれませんが、ライトなオナクラは人気になるかもしれません。
また、VRやAIといった技術の進歩に合わせて、新しいサービスやシステムが生まれる。
色々な想像をするだけで楽しみですね。
オナクラ愛好家として、低料金で質の高いキャストと遊べるオナクラが、今後ますますブームになる未来を願います。
まとめ
歴史はキッチリと決まっているものではありませんので、他の解釈や諸説はあるとは思います。
しかし歴史を紐解くとオナクラが、時代にあわせて少しづつ形を変え続けていることがわかりました。
これから先の時代もオナクラがどんなふうに進化を遂げ変化していくのか?
これからもオナクラ遊びを続けていくことで、時代の変化を肌で感じていきましょう。